行間の大本営発表、それを打破するには?

itoshunya.jpg医療ジャーナリスト伊藤隼也氏の18日のツイート
我が国の問題点は、世の中で起きている問題が、何が悪いのか分からない人が殆どである事だ。コロナで毎日300人以上死んでも、観光地が賑わえばそれで良し。それにしても(以下略)
なぜ、伊藤氏が指摘するような「何が悪いのか分からない人が殆ど」となるのか?

中国はもちろんのこと、大量のPCR検査によるスクリーニングが感染拡大防止の鍵であることは、少しでも科学的素養のある人には常識のはずだが、もう丸2年経ってもそうならないこの国の異常さ。テレビでは、(感度が1,000分の1の)抗原検査がどうのこうの、などと言っている。このことが大問題ということをはっきり認識している人も少ない。

このような、表面的な情報過多社会での情報欠如の原因と責任は、もちろん主要メディアにある。かつての「大本営発表」はいま、仰々しいアナウンスや新聞の派手な見出しではなく、逆に沈黙によって、あるいは言葉を使わずに、または行間で行われる。
#行間による大本営発表

例えば、冒頭のコロナの感染爆発にしても、日々の感染者数を、まるで台風情報のように、自然災害のように伝える。台風の進路については誰も政府のせいにはしないが、感染爆発と医療崩壊は政府の責任である。そのことを全く指摘しない。つまり「行間」に、「この事態はどうにもならないこと」と言う暗黙のメッセージが埋め込まれている。検査の問題にしても、外国と比べればすぐ分かるはずだが、それをやらない。

このようなメディア状況で(と言っても、多かれ少なかれ、商業メディアの宿命かも知れないが[1]、政府の責任を可視化するためには、デモやストなどの大衆的な直接行動が不可欠だ。このことは統一協会と政界との癒着(どころか、政界乗っ取り)の問題も同様だ。NHKと一部民放を除いて、テレビも追及するようにはなったが、メディア任せで本当に彼らを追放できるのか?アベも、あれだけ違法・無法が明白だったのに、追放どころか院政継続さえ許したのである。大規模デモ・・もちろんコロナ対策上安全な道幅一杯のsocial-distance demo・・が不可欠ではないだろうか?安全対策というだけではなく、交通のストップなど社会活動にインパクトを与えるものでない限り、メディアも伝えない。メディアに強制露出させるためにも、本来のデモのスタイルは必須なのだ。

1年半前の記事で、イスラエルでの、 #ソーシャルディスタンスデモ ならぬ、ソーシャル・ディスタンス集会を紹介した。

Thousands rally in Tel Aviv, 2 meters apart, accusing PM of destroying democracy
socialdistancedemo2020apr.jpg

kurume220719.jpgまた、先月の久留米での19日行動でこの趣旨のアジ演説をやった。
右がその録画→→ クリックで再生

市民運動のリーダーの方々、細長いデモではなく、道路いっぱいの #ソーシャルディスタンスデモ を、ぜひ計画して頂きたい。感染対策上、警察も認めるはずだ。いや、表現の自由と感染対策を両立させるには、現在はこの形態しかないのだから。
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[1] 子どもの頃私が、組合運動に関係していた父に「新聞記者になりたい」と言ったら、「嘘ばかり書かなければならんぞ」と返したのを思い出す。(正確には、久留米弁で「スラゴツばかり書かにゃんぞ」)
* タイトルの前半部を「行間による大本営発表」から「行間の大本営発表」に変えました。

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