12/13 スピーチの部分の文字起こしをしました。12/17 琉球大の徳田博人教授との質疑応答の文字起こしを追記しました。12/19 沖縄大学客員教授の小林武さんの質疑。12/24 司会の亀山さんの発言部分を挿入追記。
(順次、本文中と最後に関連リンクを入れます。)
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日本科学者会議「総学」の、12月7日の平和問題分科会での発表スライドです(最後の3枚は時間が余った時の予備で、使用しませんでした)。
タイトルは「佐賀オスプレイ基地建設に反対する非暴力直接行動について」。録画もされているので、いずれ公開されると思います。録画が入手できれば、それからスピーチの文字化もしたいと思っています。
→スライドの全部のPDF一括ダウンロード。また、このセッションの講演の予稿はこちらです。(私のは13−14ページ)
まずタイトルページです。
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以下は、時間が余った時のために用意したスライドです。(当日は不使用)
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スピーチ部分の文字起こしです。Q&Aにも興味深いやり取りがありますが、これは質問者の許可を得てから。
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佐賀オスプレイ基地建設に反対する非暴力直接行動についてというタイトルでお話をします。私は実験屋なので、実験的な、社会実験というか、そういう話なんですけど。
まず一般論ですが、直接行動というのはだいたい一般的にはネガティブイメージを持たれてると思うんですね。これは一般だけじゃなくて市民運動圏の中でもそうだと思います。短絡的である。極左的である、あるいは逮捕につながる、長期の勾留、違法行為という、そういうネガティブなイメージが大きいと思うんですけど、しかしこれは世界的な市民運動の中では非常に不可欠のツールというふうに考えられているわけです。
例えばジーン・シャープの有名な『独裁体制から民主主義へ』という、2年ほど前、「100分de名著」で紹介された本がありますが、その中の非暴力行動198の方法というのがありますが、そのうちの36がこの直接行動に該当するわけです。
制度としての民主主義のもとでも独裁は大いに起こりうるということで、つい先日の韓国の事態もそうですし、日本はもう実態としてはもう長期の独裁政権になってるんじゃないかと思いますが、それ(民主主義)を復元する手段として不可欠であるということだと思います。
そういうことを言うとすぐに日本人はおとなしいからとかいうことを言われますけども。民主制度ではないんですが江戸時代、封建時代ではありますが、江戸時代を通じて3200件もの百姓一揆が起きているということらしいですね。ところがこの一揆の研究者が絶滅しているという話を、ちょっと前に日本史の同僚(佐賀大学という意味)から聞いたんですけども、そんなことだったら大変なことだと思うんです。そういうことになれば、それはいろんな文化に反映してしまう、つまりそういう一揆を取り扱ったような小説もなかなかできない、映画もできないということでですね、文化的記憶喪失ということに陥っているのではないかというふうに思うんです。
文献としては、シャープの本ではもう一つ1冊、「市民力による防衛」という、これは国防、つまり国の防衛に非暴力抵抗を使うという、そういう本ですが、これまた「100分de名著」で紹介されています。それからマイケル・ランドル、それからアンジー・ゼルター、これは私どもでつい2月に翻訳出版した本ですが、そういうものが文献としてはあるかと思います。
さて、私は実験屋なので、実験的な話ということになりますけども、佐賀大学に勤めておった関係で、佐賀オスプレイ基地建設問題はもうだいぶ前からの重大な問題だったんです。ざっと経過をお話しますと、90年に空港建設問題が起きたときに、公害防止協定というのが結ばれて、自衛隊と共用しないと、空港ができても自衛隊と共用しないという約束が結ばれた。これは公害防止という名前になっておりますが、これは大きくは、当時戦争を知る世代が多かった漁業の、漁民の人たちが、2度と戦争はダメだ、戦争協力はダメだという意思が強く込められたものだということが新聞で報道されております。
空港が開港され、そして自衛隊、オスプレイ配備等を防衛省が要請してくると、新しく就任した知事がこれを認める、2018年に配備計画を受け入れる、そしておそらくいろんな金が動いたんだと思いますけれども、漁協がその公害防止協定を見直すということになり、ついには南川副管理運営協議会という、地権者でつくる会が臨時総会で土地売却を決める。しかしこれは、土地の所有権に関しては、漁協にあるのではなくて個々人にあるということのようですので、それを元に(根拠に)土地売却をしない地権者が訴訟を起こすということになりました。
その訴訟の前に、右に行きまして、この去年の6月に着工をしましたが、そのときに私も現場におりました。そこで自発的な阻止の直接行動が起こりまして、1時間ほど車両の進入を止めるということが起こりました。
8月に裁判が起こる。そのあと、関連する県の不正なこと、無償で関連する周辺の土地を提供したりとか、土砂を提供したりという不透明なことが起こった。それに対する住民監査請求とか、そういうことも起こっております。
仮処分申請が3月に今年の3月に却下されて、それで地権者は裁判本訴を起こす。さらに今年の7月には、245人の原告、これは佐賀県民に限らない、私も含めて福岡県民(など)も含めて、人格権に基づく差し止めの訴訟を起こすということになります。
佐賀オスプレイ基地とはどういうものかということを、これは防衛省自身の住民説明会での資料から取ったものですが、佐世保の水陸機動団、いわゆる日本版海兵隊、そこに近いということでこの海兵隊を運ぶと、いや水陸機動団の兵員を運ぶと。そしてまさにこの戦争で島を取り返すことに使うんだと。戦争で島を取り返すというのは、だいぶ前に維新の議員が北方領土について言ったら大変な問題になったんですが、同じことを防衛省が言ってもあんまり問題にならないという不思議なことがあります。それから、隣国中国にも足が伸びるので、隣国への脅威であるということも堂々と防衛省のスライドにあるわけですね。
地権者の提訴を無視して工事が始まりまして、これはまさに私のドライブレコーダーに写ったものですが、このようなダンプが、これは空港の建設現場に向かうくダンプですけども、これはもうひっきりなしに佐賀の街を通るという(事態に)。今年の5月の時点ですけれども、(次のスライドを指して)これが通り過ぎた後。「明日の戦争を運んでいます」というラベルを、これは私が貼ったんですけども。本物には貼れないので画像上で貼っただけですけども。こういうのを日々目にするわけですね−佐賀の町を車で走ると。こういうのを見て、そしてその意味を洞察できるとしたら、どうしてもやっぱり体を張ってでも止めたいと思うのが自然だと思うんですね。
田んぼだったところが、こういうふうに隊舎もできて。いろんなものができつつある。今の時点ではもっと、格納庫なんかも姿を現してますけれども。この右側が滑走路、佐賀空港の滑走路です。
それで、訴訟が進行する一方で抗議阻止行動が封印されてしまうということになりました。これではいかんということで、要するに現場での抗議もしないことには裁判も弱いだろうと、裁判官の心理にも影響するだろう、既成事実が進めば。だから辺野古のように少しでも遅らせることができれば、少しは世論にもアピールするということで、今年の1月になって、警察法にある「苦情申し出」ということを実施しました。これは公安委員会に対して。
県警というのはこの公安委員会が管理するという制度になっているので。これ(公安委員会)は民間人ですね、3人の民間人による委員会、これに対して、これは県民でなくても誰でもいいんですけども、警察の行動に対して苦情を申し出る。何を申し出たかというと、これは違法な工事であるので、まず土地を売ってない人のやつ(土地で工事)をやってるということで違法な工事であり、かつ、もちろん憲法9条に違反する軍事基地の建設であるので、これは警察が取り締まるべきだということで、苦情申し出をした。しかし、取り締まる様子がないので、阻止行動を我々で、私人による法の執行というやつですね。これをやるぞということで、記者会見をしました。この私人による法の執行と言ったら、非常にわかりやすい例は電車の中で痴漢を見つけたら逮捕しなきゃいけないっていう、あれと同じですね。現行犯に対する私人による法の執行、つまり基地建設という現行犯に対して私人が取り締まりをするということを、記者会見(で表明)をしました。
そしてその行動の趣旨を県警本部長に手紙を届けて知らせるということで、それ以後11月まで月1回か2回で、だから辺野古に比べたら本当に微々たるものかもしれませんけども、そういうことをやっております。
(スライドを示して)これはまだ去年の6月の初日で工事開始日ですね、10人ぐらいの市民がここで阻止ラインを張って、ここに渋滞の列ができてる。また、記者会見をこういうふうに、なんと地元紙が(阻止行動を)予告報道してくれたんですね。これ(新聞記事)は今年の1月ですね。この右(その下の写真)は8月です。もうこんなに進んで隊舎までできてるということです。8月の様子です(次の2つの写真)。このように、1時間から2時間程度抵抗して遅らせるということです。
11月13日に再度の苦情申し出をしたんですけども、警察法警察の任務、県警・県公安委員会の任務としては、「個人の権利と自由の保護」ということをちゃんと書いてるんです。そういうことに基づいてちゃんと県警を指導せよと、「管理者」として指導せよということを再度申し入れをしたということになります。
チラシを作ったりしてますけども、錚々たる人々が支援のメッセージ送ってきていただいております。「この紋所が目に入らんのか」というぐらいのものだと思うんですが。
我々の直接行動の原則はですね、非暴力と説明責任ということです。われわれは法の執行者であるという、私人による法の執行であるということですから、公然とやるということですね。
非暴力ということで右のような非暴力と安全の誓約書(を書いてもらう)。だからこれに署名さえすれば誰でも参加していいという、そういう参加の条件にしております。逆にこれを守らない人は参加を断る、そういうことになります。
この直接行動の意義というのは、やはり何と言っても目の前で、わずかとは言いながら効果があるってことですね。裁判の場合にはもう何年先になるかわからない結果、すぐに出る場合もあるかもしれませんけども、そういう違いがある。そしてそういうことは、参加する人自体のエンパワーメントに繋がるわけですから、これは社会運動においてとても重要な要素だと思うんですね。そして主人公になれる。全員が主人公になれるということですね。裁判も重要ですけれど、裁判の場合はどうしても弁護士対裁判官というエリート同士の戦いが前面に出てしまいますけれど、直接行動の場合には1人1人が主人公になるということがあります。
それからもう一つ重要なことは説得力ですね。覚悟ある行動というのは - この場合のリスクというのは逮捕のリスクなんですけども − 言葉以上の説得力があるというふうに思っています。ですから新聞もメディアも好意的に、割と取り上げてくれます。
なぜ直接行動が必要かということをもう一つ。私はこういう支配のメカニズムというのを(図式を)数年前から提唱しております。要するに、富・労働を資本を通じて、あるいは税金という形で権力に集中された富が、財力が、メディアに行き、あるいはネットメディアに行き - この教育機関は直接的な権力支配ということなんでしょうけども - 労働者、市民、我々をイデオロギー的に支配する。重要な情報は隠蔽する。多量の雑音で本当の重要なことを隠すという、そういう情報支配がされておりますので、なかなかその本当の問題、本当のアジェンダ、社会のアジェンダに我々気づくことができない。だからそういうことに気づく、可視化させる、重要問題をメディアに強制的に取り上げさせることで可視化させさせるという効果がありますので、これは非常に他に代えがたい。
おとなしいデモを100回やってもなかなかメディアが報道してくれくれないということがありますので、とにかく実際ディスターバンス(混乱)を起こすということがとても大事だと。ビジネス・アズ・ユージュアルを壊していくということはとても大事だということだと思います。
そこでいつも問題になるのがデメリットとして逮捕、逮捕のリスクがあるんじゃないかということなんですが、(確かに)ヨーロッパと違って日本は非常に長期に勾留されます。20日ぐらいは大体(留置場に)入れられるんですね。ですから到底普通のサラリーマンなどは受け入れられないわけですけれども、私のような定年退職者の層にはこれに、このリスクに耐えられる条件を持つ人は多いんじゃないかと思います。
一方イギリスでは、市民運動で逮捕された場合の勾留は大体一晩です。これは多数の、右の写真のように多数の逮捕者を出して留置場や裁判所を飽和させるという作戦の成果と思われます。私が2007年に経験したのはやっぱり一晩でした。同じく逮捕された長崎の被爆者の方から、翌年こういう年賀状をもらっております。
要するに、このように日本の市民運動が逮捕を恐れている限り、権力が市民を恐れることはないと思います。それ(その恐れ)から市民が解放されて初めて権力は市民を恐れ、民主主義が始まると。そこから今、恐ろしいスピードで進む「新しい戦前」を阻止する力が生まれると。これはまもなく発売される『わだつみの声』という雑誌に寄せた文章の最後の末尾を使っております。
つい先日の韓国でのクーデター未遂事件、そこで大変有名になった画像がありますね。軍隊の銃を素手で取って抵抗している、民主主義のために命のリスクもいとわない韓国市民と、逮捕のリスクにさえ怯む日本の市民運動という、そういう対比を見せられたんではないかと思います。
憲法9条というのが風前のともしびのようなことになってるなっています。斎藤文男・九大名誉教授(故人)が、もう14年も前になりますが久留米で憲法講演をされたときに、護憲派は条文改憲だけに目を奪われているんじゃないかと、結局、六法全書の中に9条の「インクの染み」が残っていればそれでいいのかという問いかけをされております[→目次付き動画]。つまり今の実態は本当にただ戦争が実際にやってないというだけで、もうミサイル基地を作るは、それからとんでもない軍備をですね、進めているという実態があるわけですね。ですからもう事実上9条は本当に非常に空洞化されてしまってるということがあります。
ですから「9条を守る」というスローガンは、もう非常に弱々しいスローガンになってしまっている。ですからむしろ、私人による法の執行としての「9条実施」、"Enforce the Article-9" でやって行くということが重要ではないかと思います。そういうことで、私達のグループもこういう、「9条実施アクション佐賀」という名前、ネーミングにしております。
そしてさらにもっともっと強力なスローガンはないかということで、「9条の逆襲」というスローガンを提示をしたいと思っております。
大体5分のQ&Aの時間が6分残っておりますけども、だいたい以上です。ありがとうございました。
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Q&A (12/24 司会の亀山さんの発言部分を挿入追記)
司会:それでは、なかなか刺激的なご講演だったと思います。ご質疑、コメントなどいかがでしょうか?運動論の問題もありますし、その、海外における取り組みの特色っていう点でも情報が一つあったんだろうと思うんです。いかがでしょうか?
豊島:実際このこういう直接行動というのは沖縄ではもう既にね、あの、辺野古で有名なように、行っているわけですよね。ダンプに対する牛歩によるダンプの台数を減らすとか、実際に行われている。それがなぜか他府県ではなかなか行わないというところですね。
司会:ただ一方でよく注意していただきたいというか、「沖縄では」っていうふうに一般化していただくとちょっと困るなというふうに思うのは、いわゆる逮捕を恐れないとか、そういう論理は私達全く持っておりません。もちろんそういうつもりで参加してる人もいるかもしれませんけれども、それが辺野古のゲート前行動の論理には決してなっていないっていうことは注目された方がいいと思います。そういう点では、何かあれは直接行動というか、あの前における一つの表現ではございますけれども、豊島さんの提起と沖縄における行動のにおける共通認識っていいますかね、統制のルールとはちょっと違うっていうことがあろうかと思います。
私はやっぱり合法性ということに加えてさらに、例えば逮捕者を出すとかですとか、そういうことによって何かそういうことにも怯まない集団だけが参加することができる、あの特殊な空間にどこがなるっていうことを強く防止しようというふうに努めてます。誰もが参加できるようにするということ。それで総学のときの、辺野古に行くときの提起も、眺めに行きましょう、見に行きましょう、見物しに行きましょう。それによって多くの人が知ることができる。そこの多くの目があることによって、起こっている事実を知ることができる。例えばそういう価値観を持ってる人もいるんですよね。そういういろいろな人が、いろいろな、なんていいますか、熱さでその問題に向き合う人がいるっていうことが市民運動にとってとても大事じゃないかと思う。豊島さんのような提起も大事である一方で、もちろんなくて、そういう動きもあるっていうようなことはやはりちょっとコメントしておきたいなと思います。
豊島:もちろんその通りでして、いろんな形で参加できる、逮捕覚悟の人だけしか参加できないとそんなことはないわけで、私達も署名を求めるのは実際にゲート封鎖に参加して、その逮捕のリスクまでを背負う人に対しての署名であって、周囲で応援する人に対しては署名を求めていないですね。ですから見物も大歓迎ということにしております。
それから、そういう逮捕覚悟ではあるけれども、今まで11ヶ月、延べ40時間、まあ40時間までいかないかな。封鎖時間は35時間ぐらいでしょうかね。警察と対峙することはあっても逮捕に至るようなことにはなってない。我々としてもできるだけ避けるように、逮捕はできるだけ避けるように慎重にやってることはもう、もちろんです。
司会:はい、ありがとうございます。他いかがでしょうか、皆様。
ま、そういうときに安倍首相が使った言葉で言えば、「あの人たち」っていうふうに言わせるわけにはいかないですよね。そういう形でね、我々何か全く世間から離れた特殊な人たちにしようという試みっていうのは必ずネット上でもリアルワールドでもありますので、我々こそが多数派だっていうね、そういうものを構築していくための手段としていろいろな取り組みがあるんだと思います。
(12/17 追記)
琉球大学の徳田博人さんとの質疑応答の部分を、ご本人の許可を得て掲載します。徳田様にお礼申し上げます。
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徳田さん:お話し、どうもありがとうございました。この公安委員会の方に異議申し立てをしたことは、私はとても大切な試みだなと思っています。沖縄県内で発覚した米兵による女性2人への性暴力事件で、県警は、県や県公安委員会にも概要を伝えなかったと報道されたりしていますが、県警が県民の立場で動かなかったり、あるいは県公安委員会が十分に機能してたのかと、本当はそういう隠れた論点もあったりします。本来、知事のもとにある公安委員会とか警察とか自治体警察って、どうあるべきか、もう一度、法理念に立ち戻って考えてみるべきでしょう。今回の豊島さんのご報告で言うと、1回公安委員会に苦情申し立てをして、そこを基軸に行政をどうにかして動かしていこうとした。これが1回1回介在することで、本来行政が法執行すべきところそれをしてないので、我々がその代わりにしてるんだという意味合いをもってくる、本来は公安(委員会)がちゃんと動くべきだぞっていう、そういう前提を作ったところが重要だなと思ってお話を聞きました。そういう点にも着目しながら、どう今後いろんなところで行政の法執行を機能させるのかが一つの課題かなと思いながら、お話を聞いたということです。どうもありがとうございます。
豊島:ありがとうございました沖縄の場合には県知事が公安委員会を今任命できるので、ここに立派な方3名、いますよ、3名、4名ですかね入れ替えればですね。本当に県警が取り締まることになると思うんですね。そこをぜひトライしていただきたいと思います。
徳田さん:公安委員会の委員の入れ替えだけで済む問題なのか、そういうことも含めて、公安委員会のあり方にもメスを入れる。そういう意味で、ご指摘の通りですよね。公安委員会のあるべき姿、この点に気づかせていただいたと思います。ありがとうございます。
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12/19追記:総合討論での、小林武・沖縄大学客員教授の質疑
司会:この講演を最後に置いた理由を皆さんよく理解なさってるっていうか、じゃないかと思います。何のひと言の不足も必要ない説明ご報告をありがとうございました。
皆さんいろいろ非常に強い感想を持たれたんじゃないかと思うんですけれども、ご質問やご意見などいかがでしょうか?市民の皆様、あるいは憲法・行政法やってるよっていう人から見ていかがでしたでしょうか。どんな角度でもよろしいんですが、
小林さんどうぞ。
小林さん:うん、私、今お伺いしましたあの、大倉先生のあのお話、それとその前の前の佐賀の豊島先生のお話で、ちょっとどうしても、そのときは機会失ってしまいましたので、一言申し上げます。
今日、今お伺いしたばかりの立憲主義に基づく憲法教育の話、本当に心に沁みまして、一番大事なところをお話されてるんだなというふうに思いまして、でも、あのもっと他の方もたくさん発言されると思いますので、すいませんが私、あの先ほどの豊島先生のお話の中でどうしても、これはどうしてもあの、発言しておきたかったこともありますので、少し時間いただきます。
司会:どうぞ。
小林さん:それは憲法規範を守るということの意義ですね。あの、お考えの全体を私詳しく理解しているわけではないんですけれども、とりわけて、あの九州大学の斎藤文男さんの講演でしたでしたか。引用なさって、憲法9条っていうのが憲法規範の中にインクのしみでしたか、を残しているということで憲法学者は満足しているって言われたか、あるいは満足していてはならないとおっしゃいましたか。
ともあれ、肯定的ではない文脈でこの言葉を使われて、このことを私ひとこと発言しておきたかったということなんですね。ですから斎藤さんのあの発言、これも文脈は全体わかりませんので、それに対する反論ということじゃなくて、また豊島先生のやっておられることへの反論ということではなくて、どちらもこれは大事だと思うんですね。
特に直接的な抵抗ということをおっしゃっていた非暴力の直接抵抗主義、これはきっととても大事な、あの思想に基づいた行動をなさっているだろうし、むしろ敬意を表するところですけれど、ただその場合ですね、この憲法九条、これ規範を言ってます。憲法9条の条文です。この規範をそのような直接行動をする場合でも、この規範を守っている、我々が守ってきた日本国民が守ってきたことの意義というのは、これはとても大きいと思います。私達は、私、憲法学者の1人ですけれども、私達は決してあの規範が憲法9条が六法の片隅にインクの染みを残していて満足だなというふうに思っていませんが、しかし今日の状況と歴史に照らしてインクの染みとしてでも9条が憲法規範の中で健在であることの意味というのは実に大きいです。
これは例えば今の豊島先生がなさっている行動をも支えている、憲法9条の規範がですね、このインクとして健在だということが、これが支えていることだと思います。私たちはあの規範を守ること、それからこの規範が現実政治によって崩されること、これは私たち憲法を壊すという意味で壊憲、壊す憲法改憲と言っておりますが、明文上の憲法の改悪改憲も実質上の政治による憲法の破壊も、どちらも壊憲として、この真正面から反対、今でも反対しておりますし、憲法の誤った解釈、これについても憲法を守る立場から反対してます。そのようなことを通して批判を守るというのは実にですね、もうこれ今日の私達の、大きく言えば私たちが人間として生をしていること、そして安全に生活をしていること、そして世界全体の平和っていうことへの貢献、裏を通してこの日本の規範が、9条の規範が残ってることはずいぶん大きいでしょうし、私達はそれも含めて、それを含めて、この行動する場合共同の行動をしたいし、また学問研究もしたいものだというふうに思ってます。
あの完全な私見を、私の見解申し上げましたけれども。申し上げました。
司会:小林さんありがとうございました。憲法を持てなかった。沖縄の27年間っていうのを今思いお聞きしながら聞いておりました。豊島さん、コメントありますか。大倉さん、ちょっと待ってください。
豊島さん何かコメントありましたら。
豊島:はい、インクの染みという言葉ですね。これどういう意味かというと、9条を守るという場合に条文を守ることだけに目を奪われていないかという指摘です。つまり、条文改憲、それから外交改憲、立法改憲、も一つ何だったかな、そういういろんなことで実態的に改憲されてしまうという。
そこをあまり注目せずに、条文さえ残っていればいい、条文さえ残せばいいという護憲運動がですね、そういうことになってしまってはいないかという警告だったんですね。そこです。ですからもちろん条文が残ってることはもちろん決定的に大事なことですけども、それに基づいて我々も行動をしてるわけで、それを盾にというかそれを根拠にですね、(行動)してるわけでありまして、だから今チャット欄に書きましたように斎藤教授の1時間以上に及ぶ講演の録音をネットに上げておりますので、よろしかったら、チャット欄にリンク付けておりますので、見てみていただけたらと思います。以上です。
小林さん:条文だけが残っておればいいという憲法学者は、憲法を大切にする憲法学者はいないんじゃないのかと思います。ですから・・・
豊島:いやいや、違います。
小林さん:現実にない状況を批判されている・・・
豊島:護憲運動です。護憲運動が、護憲運動が条文改憲をさせないことにばかりに目を奪われているんじゃないか。つまり具体的なそういう基地を作ったり自衛隊の基地を増設したりとかですね、そういうことに対する抵抗のウエートが少なかったんじゃないかということを言われた、言われたいんだと思います。
小林さん:憲法運動についても、そのような憲法運動はないんではないかと思います。
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関連リンク(本文中と同じ)
斎藤文男・九大名誉教授の2010年の憲法講演・目次付き動画
9条護憲派への、過去からの叱責
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